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漸く

やっと、ついに、本が出る。 2019年の中頃から計画を始め、あっという間にできると思った矢先のコロナ。シャッターが降りたように色んなことが停止した。 そして再開。2023年になってしまった。 コロナ渦中は大変なものだったが、振り返ると、その大事をきっかけに、ガラガラと舞台の回転のように大きく変化したものが随分あったと思う。世の中は。 先週京都に4日位いた。寺社や町中で「応仁の乱で焼けてしまって」という言葉をよく聞いた。18歳の若者から「これも応仁ですか」という言葉が出るのももっともである。10年も続く内戦、ひどいものである。それにしても、それから何年立っているというのだ。500年以上だよ。それでも残ったものが、今も根気よく保存され、おかげで私達が会えることの大切さを噛み締めた。実物があることの凄さだ。 家に戻ると、京都から本の見本が届いていた。 束見本やレイアウト、色校や表紙の見本は目に焼き付いているが、物体が出来上がってきてそれを手に取り、ページを捲るのは、また違うものがあった。これが、私の本か。 真っ白な、コートのない表紙の紙質は、まるで「汚い手でさわるな」と言っているようでもあり「汚れて味が出るくらい、何度も手にとって見てね」と言っているようでもある。背表紙の丸みが、気取っているようでもあり、優しく放任しているようでもある。 中身のレイアウトは、心地よいリズム、時々気まぐれなリズム。 自分の作品にぴったりな出来上がりに、姫野さんの凄さを実感した。本を作る力、姫野さんが選んだデザイナーの櫻井さん、そして日写の吉田さんの、絶妙な組み合わせなんだな、と、上質の仕事に出会えた幸運を実感したのだ。そして、なにより一番最初に、あわよくば書いていただけたらと願っていた、石田・石井両氏のテキスト。このお二人にテキストを書いていただけた幸運。 本のあとがきに、沢山の人の名前を書き連ねて感謝の意を表していることが多いが、そんな著者の気持ちが本当に理解できた。 本を作るってこういうことか。だんだんじわじわとわかってきた。今後も少しジワるんだろう。 さてこれからどう生きようか。この本にふさわしい生き方をするか、裏切っていくか。 どちらの言葉も、自分らしくないので、適当にします。あ、それがふさわしい生き方なのだった。

痛み

深い傷があり、なかなか治るのに時間がかかっている。 心の傷というのも、治るのに時間がかかると聞いたことがある。 たとえば、誰かにひどいことを言われてショックを受けると、治るまでだいたい2週間が目安だそうだ。これは、転んで擦り傷ができたのと同じくらいかな?つまり、心の擦り傷か。 経過が良ければ跡は残らないし、良くなければ残る。 深い傷は、良くなり、また少し悪化したりを繰り返し、いつか治るのだろうか。 季節とか気候とかで古傷が痛むことがある。何かのきっかけで心の古傷が痛むこともある。 今年のはじめに気まぐれで買ってみたのが、一年間の占いの本。年間、月ごと、365日と、ここはこんな月、こんな日だからこう心がけて過ごしましょう、なんてことが丁寧に書いてある。今日はどんな日だろう?ふーん、当たってるかな、ちがったな、なんて、ちょっと面白い。 もちろん、性別も年齢も関係ないので、全く当てはまる可能性のない単語も出てくる。 そろそろ三ヶ月経って気づいたのは、物事を捉えるときの客観的な言葉の数々。 常套句ではあるのだろうが、「機嫌の悪い人に言われたことは気にしないで云々」とか、さらっと励ましてくれている。自分を含めて、この本を手に取る人々の、日常のひりひりした気持ちが、手にとるように感じるようになっている。対面の占いでないことで、「ひとりじゃない」感がある。 不安で、何かに頼りたい人が多いから、どうしたらいいのかわからない人が多いから、占い師は儲かるのだろう。でも、言葉で人を安心させるのは、相当なスキルが要るのだろうな。

アクリルたわしショックから2年。 ちょうどコロナが流行し始めて家にいることが多くなった2020年、マイクロプラスチックの問題が一般人に知れ渡った。 まず頭に浮かんだのが、石油原料から出来ているアクリルたわし。 キッチンや洗面所から、カケラがどんどん流れていく映像が浮かんだ。 まさに、マイクロプラスチック製造機だ。 ショックだった。 私はこのことを「アクリルたわしショック」と呼んでいる。 環境問題への取り組みについては、一般家庭においてどれくらい努力すべきかを問うよりも先に、政治の決定や企業の努力が必要だ。しかし、未来の人たちのために少しでも負担にならないことをして暮らしたいと思う世の善良な生活者にとって、大切なことだ。 地味に楽しかった、アクリルたわしの世界。使うと財布にも良いが「環境に良い」はずだった。 アクリルたわし使用をすぐにやめ、代わりになる自然素材のものを色々検討した人は多いと思う。 私が今のところ、一番使い勝手がいいと思っているのが、薄手の麻布だ。ソファのカバーにしようかと思って色を合わせて買った麻布が薄すぎて用途に困っていたが、これを20センチ角くらいに、切りっぱなしたものを使っている。 麻布は繊維の構造上雑菌が繁殖しにくい(ほとんどしない)し、絞って干せばすぐ乾くので気持ちが良い。薄手なので食器の隅まで届く。 食卓でティッシュ代わりにも使っている。色も派手だったのでオシャレな感じもする。もう少し大きいものがあってもいいかもと思っている。 ガラスや陶磁器、金属製品の洗浄に洗剤はいらない。 これって、アクリルたわし以前の問題だったようだ。油物は、手にはつくのだが、手についた油は布で拭うと取れるし、食器はその後 水で流しながら布でなでればピカピカになる。 シンクだって、水を流しながら布で拭けばいつもピカピカだ。今までの食器洗剤の使用量は何だったのかと思うほどだ。 プラスチックについた油物は、だめ。食器用洗剤か、薄めた「森と・・・」をスプレーして、よく揉み込み乳化させて流す。 プラスチック製品使用にストレスが生まれた。 プラスチック製品が生まれ、瞬く間に世の中に充満して、それを洗浄するのに合成洗剤が必要になり・・・・

嬉しい出来事ってある

ここのところ休み続きで、とりあえず家で色々やっている。 写真作品の整理、アロエベラの植え替え、制作、メダカの水替え、道の駅に行って買った野菜を色々調理などしてみる、制作、サイトの更新(の準備)、データ整理、制作、繕い物、調べ物、読み物、そして、Instagramの設定をいじってみたり、じっくり見たりして、イマイチわかっていなかったことが少しわかった。でもやはりSNSは賑やかすぎてあまりもたない。 長い休みがあるとき、それはそれで、色々とやることがある。 勤めを引退したら、そうなるのかな、と、最近思うようになった。 作家としてちゃんと活動しながら生活費を紡いでいくことに、限界を感じて就職してから10年以上経った。フリーになる前も就職と短期勤めを繰り返してはいたが、今の職は、それまでの数々と比べると総じて恵まれた環境なので、定年退職までなんとか勤め上げたいと思っている。その日は段々と近付いているのだが、なーんて思っているとあっという間に来てしまうんじゃないか、なんて最近よく考えていて、そういうの、良くないと思い始めている。先のことはわからない、今を生きねば。 さて本日、近年で一番の吉報があった。個展をしてから10年以上経つ、ずっと発表再開を待っていたあるアーティストの発表活動再開だ。それも受賞を伴うものだ。コツコツと制作を続けているのを知っていたので、本当に嬉しい。日々忙しい中で、作家としての活動について話す機会もなく、自分もたいしたことないのにプレッシャーになるようなことを言いたくもなく、上手く応援してあげることもできず、役にも立たず、ただずっと待っていた。本当に嬉しい。陰ながらお祝いをしたいが明日は健診なので今日は自粛。

微 違

 前回の投稿を、Googleの翻訳タブで英語にして読んでみたら、こんな感じになった。 小さな小さな甲虫、ゾウムシかな?私は内側にいる。 なんだかかわいそう。網戸をガタガタやったら、私は飛び出した。 主語を省くからこうなるんだけど、ちょっと面白かった。 昔勤めていたアイルランドのローカライズの会社では、自社開発の自動翻訳ソフトを使って邦訳したものを、linguistという翻訳部の人たちが「ちゃんとした」日本語に直していた。直す前の邦訳は、それはそれは混沌としていた。AIが手塚治虫の漫画を模す、途中段階の絵のようだった。その頃に比べたら現代の翻訳機能はすごい。とは言え、上記のようになる。しかし、翻訳コンニャクももう少しなのか、まだ分厚い壁があるのか。 DeepLで翻訳したら、割とちゃんとなった。飛び出したのは私じゃなくなった。 翻訳コンニャクはすぐそばなのか? でも何となくだけど、品がない感じになった気がしたのはなんでだろう? やはり何かまだ壁があるのか。

爽、濃

爽やかな日。 網戸に小さな小さな甲虫。朝日を背中にキラキラ反射させている。ゾウムシかな。 ん?内側にいる。網戸の隙間から?なんだか気の毒だ。 網戸をガタガタやったら、飛び出した。良かったね。 翌朝、今度はハエ君が網戸の内側に。なぜ・・・。 またガタガタやったらハエ君の飛翔と同時に網戸がはずれ、危うく通行人の頭に落とすところであった。 なんとか取り付け直し、ホッとする。 新緑、虫も飛び回る季節がやってきた。 個展の最終日はいつもバタバタする。 朝から仕事をグルグルとやり、やっと電車に乗ったらスイッチがオフ、ギャラリーでは見に来てくれた色んな方面の方々とご挨拶をし、撤収し帰宅。濃厚な1日ではあった。

ある青年に、「実は隠れファンです」と言って頂いた。 光栄なのだが、隠れずにお願いしたい・・・ こういう風に言って頂くことが、実は時々ある。なんでだろう? マイノリティなんだろうな。