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不安

  上位レジストラのデータベースが混雑 久しぶりにサイトを更新したら、元の元のところがメンテナンス中とのことで、独自ドメインでアクセス出来ない模様。不安だが待つしか無い。 sitemixのブログが消えた悪夢に比べれば、実際のデータは残っているので大丈夫だけど、15年使っているドメインにアクセス出来ないのは、不安。 元旦のおみくじが「小吉」で、じっと待つとき、的なことが書かれていて、当たってる・・・笑 と思ったものだ。 次に来ることは、必ずおめでたいことなので、大丈夫。大丈夫。 水面下で、ものごとは進んでいる。 コツコツと、進めよう。

 纏める、と言う文字、画数多くないか?漢字で書いたことはないな。 考えを纏めようと、日誌のようなものをふと見返した。今は2021年の夏。 2009年の1月に、こんなことを書いていた。 お風呂の説明 消えていく自分 消えていく他人 見えるいる見えないいない ↑何日か前にすごくいいことを思いついて、いつもそんな時はただ書き綴っていくと結局違う話になってなんだかわからなくなって終わるので今回はちゃんと整理して書こうと思って上記のように要点をまとめた。 しかし今みたら、何のことかさっぱりわからない。 何を言ってるんだ自分は…。 最後の一行からすると、なにかが「シュレーディンガーの猫」的な感じでぴったりはまったんだと思うのだが…。 お風呂でこういうひらめきをしたことが何度もあるような気がする。 すべて泡のようにはじけて消えた… ↓ これは上記のものの後に書いたもの。 自分はすべてをぼんやりとさせることで、 自分の思っている「美術」と戦っているのかもしれない。 戦っていると言うのがふさわしくなければ・・・、 小さな抵抗をしたがっているのかもしれない。 戦う、という言葉が、好きではないんだけど、ここで使っていたことに驚いた。 その後、思い出したのは、この時使った「戦う」のイメージは、自分が泣きながらがむしゃらに行動している様子だった。

複雑

スポーツ観戦の習慣がないのだが、オリンピックの開会式は、いつも興奮する。演出とかは別にいい。いろんな人が関わって、大変だったのだろうな、大変なのだろうな、と思うくらいだ。それは何に対しても言えることだし。 引き込まれるのは、選手が入場してくるところだ。 世界中の様々な国からそこにやってきた人々が、次々に入場してくる。最初はただ楽しく見ているが、延々と続く中、目が離せなくなる理由がある。 国ごとの背景の違い。人々の態度、振る舞い。国によってだいぶ違うのが見えてくる。これは一体何なのだろうと思い始める。 最初は、若い頃の貧乏旅行で、いろんな国に行っていろんなことを見ていろんな人に出会ったこと、を重ねているのだと思うのだが、段々とそれも変わっていく。この年齢になったから感じるのだろうとも思うのだが、どうも違う気がしてくる。この感じは、もっと前からあったものだと思うようになる。小さいときから同じように感じて見ていたのを思い出してくる。 どんどん入場してくる違う国の人のかたまり。そこには、習慣とか伝統とかそれぞれの態度があって、変わるべきなのだろうが無理なのだろうな、とか、ここは守られていくべきなのだろうがそう簡単でもないのだろうな、とか、なんだかすごい複雑が見える。つまり、すごい現実が見える。そこに引き込まれる。 わーい、いろんな人が集まって、素晴らしいな、楽しいな、といった脳天気ではいられなくなる。 選手は当然、地味な努力と苦労を重ねた上での参加なのだからいいのだが、そこ以外の、元々はどうして参加に到ったかとか、そのためになにがなされたとか、オリンピックの成り立ちには全く詳しくないけど、そういうのをすごく感じるのだ。私が子供の頃からその空気に圧倒されてきたのだから、今も、そこを感じている子供はいっぱいいるに違いない。 フィッシュリ&ヴァイスの「ゆずれない事」を思い出した。 競技以外の時間は、シンプルに「交流」の人たちもいるだろうし、「休戦中」の人たちもいるだろう。どんな空気がそこにはあるのだろう。 「休戦中」に「交流」することで、相互理解に繋がるなんて、夢のまた夢で、夢が覚めたように帰国するのだろうか。 相容れない部分を互いに確認するのも、交流の意味なのだろうか。それをきっかけに変化が生まれることも、どこかではあるのだろう。

名より実

初夏の匂い。 公園の入口あたり、この季節になると独特のスッとする匂いが風に乗ってくる。小学生の時から、この匂いは何だろうと思っていて、公園の樹木には時々名札がかかっていたりするのに、これは情報が無い。毎年この季節になると気になりながらも、ずーーーーっと経って、いい大人になってやっと調べてみたら、ネズミモチかトウネズミモチか、どちらかわからないけど、その大きな木の、オフホワイトのキラキラと咲く花の匂いであることがわかった。 たしかに、ん?この匂い、と思って視界を移した先には、このチラチラ、ふさふさとした花が、キラキラの陽光とともにあった。 土と触れ合えない都心でも、この木は結構ある。 公園には大体あるし、駅前の植え込みにもあるし、学校の周りにも大木があった。 今日散歩をしていたら、やはりあちこちにある。大木ばかりと思っていたら、住宅のまわりのナンテンなんかとも一緒にあったりして、紛らわしい。と思ったら、それはモクセイだった。 香りも似ている。調べてみたら、ネズミモチもモクセイの仲間らしい。 納得。 ナンテンは、モクセイの仲間ではないみたい。 wikipedia には、 安価かつ都市部など日照土質の劣悪に耐える堅強さから、街路樹や生け垣の穴埋め(植えつぶし)として利用される。 とあった。 植えつぶし・・・・なんか悲しい。 否、頼もしいのだな。ものすごく。 気取らず力強く、陽光にあらわれてキラキラと笑っているのだ。 そして、すごく普通。 花言葉は「名より実」。 かっこいい・・・。

イメージ
久しぶりにTwitterをみたら、「5年半ぶり」と、2年半前に書いてあった。 しばらく遡っていったら、それまではずいぶんとつぶやいていたんだな、とわかった(忘れていた)。 内容についても、完全に思い出せない固有名詞がちらほらと。 めちゃくちゃなことも言っているし、あら、と思うような立派なことも言っている(たまに)。 細胞が全部入れ替わったな、とつぶやいてみた。 始めてiPhoneを買ったのが2011年だったらしい。 初ツイートは2010年だ、ま、そんなものだろう。 そう言えばと思い、Instagramを見てみた。 最初の投稿は2012年だった。その次が2016年・・・。 一昨日、久しぶりに通りかかった公園で見かけた猫がいい感じだったので、以前気に入った猫写真をInstagramにあげたのを思い出して撮影したのがあったので、あげてみた。 何となく勢いがついて、エジプト展の写真やおいしいチャイ屋さん「マイチャイ」の写真もあげてみた。チャイの写真は、よく見たらピンがずれていてダサくて気に入った。コメント欄に気付き、各写真にコメントを付けてみた。 いよいよTwitterとInstagramが混じりあってきた。 コメントしてから写真をあげるのか、写真をあげてからコメントをするのか。 なんだか忙しい・・・。 で、iPhoneにこの写真を見つけた。 もうこれは、ブログにしよう・・・。と言うわけで、ただいま。 あそこはどうしても反応が気になっちゃうからね、Facebookもだけどね。ここはいいよね、誰も見ないから。ローカルとは別ではあるけれども。 さて。 これをNYの国連本部ビルのショップで買ったのは、1991年。 IF YOU'RE NOT RECYCLING YOU'RE THROWING IT ALL AWAY. そうか、そうなのか、と思い購入し、30年を過ぎた。 青い地球の写真とこの言葉が、買わざるを得なかったし、使わざるを得なくさせてくれた。 当時「エコバッグ」という言葉があったか思い出せないけれど、このようにバッグに言い聞かされたせいで、買い物に行くときはいつもこれを持って行った。持ち手もボロボロだけど、食料品をたくさん買うと、これは肩にかけられて便利だった。 この数年で、布のエコバッグが手もとに増えた。 いただいたものだけでも、いま数えたら、9個あった

やはり三脚は重い方がいい。 古い三脚を取っておいて良かった。 しかしこの軽い三脚はいつからここにあるのだろう? ずっと何年も、もう要らないな、と思っていたり、登場させられないけど好きすぎたり、といったものは在るが、可能ならば、取っておいた方がいいと思う。 だって、捨ててしまったらそれっきりだから。 要らないと思っていたけど、ある日、あって良かったと思うことがある。 好きすぎて捨てられなかったけど、満を持して登場させられることもある。 持って行けないと判断して、置いてきたもの。 持っていられないと判断して、手放したもの。 それらを最近思い出している。 また、持ってこなくても良かったのかも知れないな、と思うものも、実はある。 その辺の見極めができるようになることって、自分にあるのだろうか。 常に見極めているつもりではあるけど。 今朝、鏡と水場を磨きながら、「青い鳥」のお話を思い出していた。

蝶のめいてい

蝶のめいてい は、永瀬清子の短編集だ。 高校生の時、渋谷西武にあった書店「ぽると・ぱろうる」で、何か「詩集」が欲しくて、タイトルと装丁がいいなと思ったこれを買ったのだ。 でも、ワクワクして詩の世界に飛び込みたかった高校生の私には、期待外れと言うか、不釣り合いのものだった。でも何となくその物体は私にとって宝物のひとつだった。 とても長い年月が過ぎ、今朝、ひらいてみた。 釣り合った。 あのときの、制服を着た自分に、買っといてくれてありがとうと、お礼を言いたいと思った。 本の帯に、あとがきの抜粋がある。ここに集めたものを、詩のけずり屑、翡翠や名木のけずり屑なんかではなく、野菜や氷のけずり屑かもしれない、と書いてある。 いつからか、制作中に「命をけずっている」と感じていることがある。仕事というのはそういうものだと思うようになったが、最初に感じたときは、驚いたものだ。 何ヶ月か前、年上の画家の口から同じ言葉が出たのを聞き、ああ、同じなんだなあ、とおもった。命をけずって生み出した大切なもの。 そして同時に、「こんなものを作ってなにになる」と言う感覚もある。けずり屑、という言葉も、わかります、と思った。 自分が大人になったんだなと思った。あの頃は、この感覚が理解出来ない高校生で良かった。しあわせに育ててもらって感謝。