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3月, 2021の投稿を表示しています

やはり三脚は重い方がいい。 古い三脚を取っておいて良かった。 しかしこの軽い三脚はいつからここにあるのだろう? ずっと何年も、もう要らないな、と思っていたり、登場させられないけど好きすぎたり、といったものは在るが、可能ならば、取っておいた方がいいと思う。 だって、捨ててしまったらそれっきりだから。 要らないと思っていたけど、ある日、あって良かったと思うことがある。 好きすぎて捨てられなかったけど、満を持して登場させられることもある。 持って行けないと判断して、置いてきたもの。 持っていられないと判断して、手放したもの。 それらを最近思い出している。 また、持ってこなくても良かったのかも知れないな、と思うものも、実はある。 その辺の見極めができるようになることって、自分にあるのだろうか。 常に見極めているつもりではあるけど。 今朝、鏡と水場を磨きながら、「青い鳥」のお話を思い出していた。

蝶のめいてい

蝶のめいてい は、永瀬清子の短編集だ。 高校生の時、渋谷西武にあった書店「ぽると・ぱろうる」で、何か「詩集」が欲しくて、タイトルと装丁がいいなと思ったこれを買ったのだ。 でも、ワクワクして詩の世界に飛び込みたかった高校生の私には、期待外れと言うか、不釣り合いのものだった。でも何となくその物体は私にとって宝物のひとつだった。 とても長い年月が過ぎ、今朝、ひらいてみた。 釣り合った。 あのときの、制服を着た自分に、買っといてくれてありがとうと、お礼を言いたいと思った。 本の帯に、あとがきの抜粋がある。ここに集めたものを、詩のけずり屑、翡翠や名木のけずり屑なんかではなく、野菜や氷のけずり屑かもしれない、と書いてある。 いつからか、制作中に「命をけずっている」と感じていることがある。仕事というのはそういうものだと思うようになったが、最初に感じたときは、驚いたものだ。 何ヶ月か前、年上の画家の口から同じ言葉が出たのを聞き、ああ、同じなんだなあ、とおもった。命をけずって生み出した大切なもの。 そして同時に、「こんなものを作ってなにになる」と言う感覚もある。けずり屑、という言葉も、わかります、と思った。 自分が大人になったんだなと思った。あの頃は、この感覚が理解出来ない高校生で良かった。しあわせに育ててもらって感謝。