切ない。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 1月 07, 2024 シドアンドナンシーと、さらば青春の光を立て続けに観た。青春は切ない。いや、切ないのは青春だけではない。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
盛 - 8月 06, 2025 自分の働き盛りは終わった、と実感するようになった。 振り返れば、それはあったのだろう。 人と比べてではなく、自分自身として、フル稼働していた時があったようだ。しかしその渦中では、それは人と比べるとあまりにもささやかなものだったため、まさか自分の目一杯が今この時だとは夢にも思わなかった。 最近そう思う。 それは、当時学生だったり駆け出しだったりした若者がアーティストや社会人として認知され素晴らしい仕事ぶりを続けていたり、その語りに納得したりする時に、感じるのだ。 そんな人たちがもう30代、40代になるのだから、なんだか清々しくもある。 自分としては、彼らと同じ20代の頃、目指し、焦り、がむしゃらに過ごしたころの自己認識からすると、想像を超えた仕事ができたと思う。もしかしたら、もっと壮大なイメージがあったとも思うけど、正直疲れたし、エネルギーに溢れていた時のイメージと、実際いろんな生活上のこととミックスしたら、十分だったと思う。もっと無理だと思ったもの。 ピークが終わったからと言っても、ピークが終わったからでないとできないことがあることも今はわかっている。 でも、ちょっと自由になっているような気持ちもある。 続きを読む
自賛 - 10月 20, 2024 このブログは、はっきり言って自分のために書いている。 なら勝手に日記を書けば良い、というのとはちょっと違う。日記は日記で書いている。 自分にとって、ここに書くこととあちらに書くことの境は、何かしらある。 あちらの方は、全体的にもっと真剣で、大切なんだけど、楽しくはない。 なんで自分のためにブログを書いているのかというと、どうせ誰も読まないから気楽だし、たまに読み返して、面白いな、と思うからだ。誰も読まないのは、面白くないからなんだけど、それは私以外の人が面白くないと思っているだけで、私は面白いから書いている。万が一、誰かが間違って読んでも、いいかな、と思えることを書いている。つもり。読んだ人が面白くなければ、その人はもう読まないだろうから安心だ。 一昨年から突然油彩画を再開した。最後に描いていたのは人生最初の個展の時だ。最初で最後だった、と思ってきたので再開は意外。 発表することには緊張も伴ったが、とりあえずまあまあかなとは思った。でもなんだか気持ちが続かず、それから2年空いた今夏からまた描いている。再開したときの制作中は、「上手に描きたい」と思い続けていた。「上手に」というのは「思ったように」と言う意味だ。絵以外の制作中には浮かんだことが一度もないのに、絵となるとそのワードが出てくるのだった。小さい頃、そう思っていたからだろう。 いろいろ試しているが、なんかうまくいっている、と思った一瞬後に、様々な既知の絵画作品が浮かんで来る。そうじゃないんだよな、と思う。最悪なのは、学生時代に友達が描いていたものとダブって見えた時だ。その友達のことは大好きで尊敬もしていたが、失礼ながら、作品の良さを理解してはいなかった。 描き終わりは「これだ!」「できた!」と思って、いったん目を逸らしてまた見ると「ひどい・・」「汚い・・」と思うことの繰り返し。さすがに諦めたくはなくてただひたすら描き続けている。自画自賛している時間が長くなっていくことを夢見つつ。 自画自賛、「これだ」「よし」なんて思う状態とは、このつまらない絵を見慣れた時なのだろうか。 続きを読む
複 - 4月 25, 2026 「良い」展示を見た。 まずのそれは、5分ほどですと言うありがたい情報をいただき観始めることができるようになっている。 廃墟となったかつて隆盛を誇った商業施設、の静止画。 各地にある膨大な数の。 荒廃したままの。 再利用されている様子の。 それらが順に映し出されているのを見ている間、気づくと音がしている。なんとなくチープな、郷愁を誘う的な音楽が流れ、人の声など、雑音も微かに聞こえる。 一体何人収容できたのかと思うほどの巨大な、小さな映画館。その装飾は、ヨーロッパの中世の装飾を模したようなものも多く、これくらいお金をかけても当然のように利益が出たビジネスだったのだろうし、人々にとっては文化だったのだとわかる。 ぼんやりとそれらが提示されるのを見ながら、音を聞きながら、 どうもアメリカらしいな、広いアメリカを、周って撮影するのはどれくらいかかったのだろう、どうやってここを探したのかしら、今は映画は大概、家で観るからね、などと言う「意識」がちらちらと生じる。アメリカに限らずね。と自然と思う。 それから、かつて寮であったという、いまは蔦の絡まる建物に入ると、その廃屋の各部屋に展示されているのは、廃屋となった建物の写真。どうやらそれとわかる有名な。例えば、パリのムーラン・ルージュとか。ルーブル美術館とか。どうやら、廃墟らしい写真をAIで作ったようだった。会社の寮というのは、大概は入社して数年とか、新人みたいな人が暮らすところだろう。若くて生き生きとして、希望や野望、目標の塊みたいな。この場所はすでに廃屋である。 ここは京都なのだ。最後には清水寺が廃墟になっていた。 さらに、数々の民家(西洋っぽい)を前から撮った写真が集められていて、動いてみるとそれはレンチキュラーとなっていて、子供が遊ぶ玄関先と、蔦が絡まり廃屋となった玄関先の二つのイメージが観られる。学生たちはこの部屋が一番盛り上がっていた、とは大学教授S氏が話してくれた。 蔦が登ってきている屋上から、望遠レンズを覗くと京都タワーが廃墟、周辺の街も荒廃している。 たまたま居合わせた女性が「すごい、いい!」と英語か何かでつい声を上げていた。私も興奮した。 最近は大きな美術館の展示を見ることが多く、それらは素晴らしいと思うものが多いけど、そうでない場所で、こういった優れた展示を見る機会がなかったなとも思った。ギャラリーでは、たとえ... 続きを読む
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